有馬温泉を訪れた歴史上の有名人

太閤像(豊臣秀吉) - 有馬温泉

― 天皇、将軍、戦国武将、文人たちが愛した1400年の名湯 ―

 兵庫県神戸市にある有馬温泉。
 日本書紀にも登場するこの温泉は、1400年以上にわたって多くの人々を迎えてきました。
その中には、歴代の天皇、室町幕府の将軍、戦国武将、天下人、僧侶、そして明治・大正・昭和を代表する文化人たちの姿もあります。なぜ、これほど多くの歴史上の人物が有馬を訪れたのでしょうか。
 その答えの一つが、有馬温泉が古くから「病を癒やす湯」「心身を休める湯」として知られていたことです。そしてもう一つが、京都や大阪などの政治・文化の中心地から比較的近かったこと。
 今回は、史料や伝承などから有馬温泉との関係が知られている人物を、時代を追って紹介します。

1.舒明天皇

 有馬温泉を訪れた最古級の記録
 有馬温泉の歴史を語るうえで、最初に登場する重要人物が舒明天皇です。舒明天皇は629年から641年まで在位した第34代天皇。『日本書紀』には、舒明天皇が7世紀に「有間温湯」へ行幸したことが記録されています。631年、そして後の638年にも有馬への行幸が記されています。これは有馬温泉について残されている最も古い記録の一つです。つまり今から約1400年前、すでに有馬温泉は天皇が訪れるほど知られた温泉だったのです。

2.孝徳天皇

 舒明天皇に続いて有馬へ
 舒明天皇の後、孝徳天皇も有馬温泉を訪れました。『日本書紀』には647年に「有間温湯」へ行幸したことが記されています。当時、有馬温泉は単なる庶民の湯ではありませんでした。天皇が長期間滞在する「行幸先」として記録されていることからも、古代から有馬が特別な温泉地として認識されていたことが分かります。

3.行基

 有馬温泉の復興を語るうえで欠かせない高僧
 奈良時代の高僧、行基。東大寺の大仏建立に尽力した人物として知られています。有馬温泉には、行基が訪れ、荒廃していた温泉を整備し、温泉寺を開いたという伝承があります。ただし、これは後世の「有馬温泉寺縁起」などに基づく話で、行基の有馬での活動すべてを史実として断定することはできません。そのため、「行基が有馬温泉を整備したと伝えられている」と紹介するのが適切です。現在の有馬温泉では、行基は「有馬温泉の中興に関わった人物」として非常に重要な存在となっています。

4.仁西上人

 有馬温泉を再興した「中興の祖」
 鎌倉時代の僧侶、仁西上人。有馬温泉では「中興の祖」として知られています。有馬温泉寺の伝承によれば、荒廃していた有馬温泉を訪れ、温泉を再興。さらに温泉寺や十二坊を整備したとされています。行基と同じく、仁西上人についても伝承の要素が含まれています。しかし、現在の有馬温泉の歴史を語るうえでは欠かすことのできない人物です。

5.足利義満

 室町幕府3代将軍も有馬へ
 室町幕府3代将軍、足利義満。金閣寺で知られる人物ですが、有馬温泉との関係もあります。義満は有馬温泉を訪れ、湯治をしたとされています。京都から有馬までは比較的近く、室町時代になると、有馬温泉は京都の貴族や武家社会の人々にも知られる温泉地となっていました。有馬温泉の歴史には、足利将軍家との関係も刻まれています。

6.足利義政

 銀閣寺を築いた将軍と有馬
 室町幕府8代将軍、足利義政。銀閣寺を築いたことで有名な人物です。義政の時代にも、有馬温泉は京都の有力者たちに知られた温泉地でした。有馬の寺社の復興にも足利将軍家の影響が見られ、室町時代の有馬が政治・文化の中心地とつながっていたことが分かります。

7.足利義輝

 戦国時代の将軍も有馬を訪れた
 室町幕府13代将軍、足利義輝。戦国時代の真っただ中を生きた将軍です。義輝も有馬温泉を訪れた人物として知られています。将軍家の権威が大きく揺らいでいた時代であっても、有馬温泉は政治の中心から人々を引きつける力を持っていました。

8.織田信長

 有馬の「湯山」を保護した天下人
 戦国時代を代表する人物、織田信長。信長自身の入湯については慎重な扱いが必要ですが、有馬温泉との関係を示す重要な史料があります。天正8年(1580年)、信長は有馬の「湯山」に対して禁制を出しています。これは、有馬温泉が戦国大名の支配や戦乱の中で、保護すべき重要な場所として扱われていたことを示す史料です。「信長も有馬で湯治した」と単純に紹介するより、「織田信長も有馬温泉の歴史に関わった人物」とする方が正確でしょう。

9.十河一存

「鬼十河」と呼ばれた猛将
戦国時代の有馬を語るとき、非常に興味深い人物が十河一存です。三好長慶の弟で、「鬼十河」と呼ばれた猛将。
一存が病気の療養のため有馬温泉を訪れたという話が残っています。さらに、松永久秀も有馬に滞在していたとされ、一存の最期をめぐって「有馬権現と芦毛の馬」にまつわる有名な逸話が伝えられています。ただし、この話には伝説・後世の逸話が含まれているため、すべてを史実として扱うことはできません。それでも、「戦国武将が有馬温泉を湯治場として利用していた」ことを伝える非常に興味深い物語です。

10.豊臣秀吉

 有馬温泉を愛した天下人
 有馬温泉と歴史上の人物を語るなら、最も重要な人物の一人が豊臣秀吉です。秀吉は有馬温泉を何度も訪れました。天正11年(1583)から文禄3年(1594)にかけて、有馬への訪問が複数の史料から確認されています。秀吉は単に温泉に入っただけではありません。大規模な温泉街の整備にも力を入れました。湯山御殿を築き、有馬温泉の復興・発展を強力に推進したのです。
 現在も、太閤橋、ねね橋、太閤の湯殿館、湯山御殿跡など、秀吉と有馬温泉の関係を伝える場所が残っています。
有馬温泉が現在まで発展してきた歴史を考えると、秀吉の存在は極めて大きいといえるでしょう。

太閤像(豊臣秀吉) - 有馬温泉
写真提供:一般財団法人神戸観光局

11.北政所(ねね)

 秀吉とともに有馬を訪れた女性
 秀吉の正室、北政所(ねね)も有馬温泉を何度も訪れています。秀吉が有馬に湯治に出かけた際には、ねねも同行しました。さらに、ねねは有馬の温泉寺の復興にも関わっています。現在の「ねね橋」には、こうした歴史が刻まれています。有馬温泉には「太閤秀吉」の名前が数多く残っていますが、実はその陰には、秀吉とともに有馬を訪れたねねの存在もあったのです。

ねね橋のたもとに立つ「ねねの像」 - 有馬温泉

12.前田利家

 秀吉に同行した戦国大名
 加賀百万石の祖として知られる前田利家も、有馬温泉と関係のある戦国武将です。秀吉の有馬湯治には、武将や側近たちが同行しました。前田利家もその一人として有馬を訪れた記録があります。戦国武将にとって有馬は、体を休める湯治場であると同時に、政治的な交流が生まれる場所でもあったと考えられます。

13.松永久秀

 有馬温泉に残る謎めいた逸話
 戦国武将、松永久秀。三好長慶の重臣として畿内で大きな勢力を持った人物です。松永久秀と有馬温泉を結びつける有名な話が、先ほど紹介した十河一存の最期をめぐる逸話です。一存の有馬湯治に久秀も関わっていたと伝えられています。ただし、久秀自身が有馬で湯治したことについては、確実な一次史料による裏付けを慎重に確認する必要があります。そのため、「有馬温泉に必ず行った人物」と断定するより、「有馬温泉にまつわる戦国時代の逸話に登場する人物」として紹介するのがよいでしょう。

14.三好長慶

 畿内を支配した戦国大名
 戦国時代の畿内で大きな勢力を持った三好長慶。有馬もその勢力下にありました。その弟である十河一存と有馬温泉との関係が伝えられていることから、三好氏と有馬との関係にも注目できます。ただし、三好長慶本人の有馬入湯については、現時点では直接的な史料による確認が十分ではありません。そのため、「三好長慶が有馬温泉を訪れた」と断定するのではなく、「三好一族と有馬温泉との関係」として扱うのが適切です。

15.福澤諭吉

 明治の日本を代表する思想家も有馬へ
 時代は大きく変わり、明治へ。『学問のすゝめ』で知られる福澤諭吉も、有馬温泉を訪れた人物として紹介されています。有馬温泉は明治時代になると、武将だけではなく、政治家、実業家、文化人など、多くの著名人が訪れる温泉地となっていきます。有馬は「歴史ある湯治場」から「近代的な観光・保養地」へと、その姿を変えていきました。

16.与謝野晶子

 有馬を詠んだ歌人
 近代の有馬温泉を語るなら、与謝野晶子も外せません。有馬を訪れた晶子は、この地の自然や温泉街の風景を歌に残しています。有馬温泉には現在も、与謝野晶子に関する文学碑などがあります。歴史上の人物が「有馬に来た」というだけではなく、「有馬で何を感じ、何を残したのか」まで知ることができる人物です。

17.谷崎潤一郎

 有馬に何度も通った文豪
 日本を代表する文豪、谷崎潤一郎。神間との関わりが深く、有馬温泉にも足繁く通ったことで知られています。
谷崎の作品や有馬に残る資料からも、当時の有馬温泉が文化人たちに愛された様子がうかがえます。戦国武将が傷を癒やすために訪れた有馬は、近代になると文学者が創作や休養のために訪れる場所へと変わっていきました。

歴史上の人物が愛した「有馬の湯」

こうして時代を追ってみると、有馬温泉を訪れた人物には驚くほど多彩な顔ぶれが並びます。

≪古代≫
舒明天皇
孝徳天皇

≪中世≫
行基
仁西上人
足利義満
足利義政

≪戦国時代≫
足利義輝
織田信長
十河一存
松永久秀
三好長慶
豊臣秀吉
北政所(ねね)
前田利家

≪近代≫
福澤諭吉
与謝野晶子
谷崎潤一郎

こうして見ると、有馬温泉は単なる「古い温泉」ではありません。
日本の歴史そのものとともに歩んできた温泉なのです。なぜ、有馬温泉にはこれほどの人物が集まったのか?
理由はいくつもあります。
まず、有馬には古くから「霊泉」としての信仰がありました。
そして、有馬の湯は湯治場として知られていました。
さらに京都・大阪などの政治・文化の中心地から比較的近かったことも大きな理由です。
戦国武将にとっては、戦場から離れて体を休める場所。
天下人にとっては、政治の疲れを癒やす場所。
文化人にとっては、創作と静養の場所。
それぞれの時代で、有馬温泉は人々に違う役割を果たしてきました。有馬の町を歩くと、歴史上の人物が見えてくる
現在の有馬温泉を歩くと、
「太閤橋」
「ねね橋」
「太閤の湯殿館」
など、歴史上の人物を感じさせる場所が数多くあります。
しかし、有馬の歴史は秀吉から始まったわけではありません。
約1400年前には天皇が訪れ、室町時代には将軍が訪れ、戦国時代には武将たちが湯治に訪れ、近代になると文豪や歌人たちが有馬を訪れました。
そう考えると、現在の有馬温泉の町並みも少し違って見えてきます。もしかすると、今歩いているこの坂道を、かつて歴史上の人物も歩いていたのかもしれません。有馬温泉は、湯につかるだけでなく、「日本の歴史につかることができる温泉」でもあるのです。

※人物の史実性について

本記事では、史料によって訪問が確認されている人物と、寺伝・後世の記録・伝承などによって有馬との関係が伝えられている人物を区別しています。
特に行基・仁西上人については、温泉寺の縁起などに基づく伝承が含まれます。
また、三好長慶・松永久秀などについては、有馬との関係を示す逸話がある一方、本人の入湯を直接裏付ける史料については慎重な扱いが必要です。
歴史上の人物については、今後新たな史料が確認される可能性もあります。

広告

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です